私たちの山村留学
~個性・特性を育み、日本人としてのアイデンティティを育てる~
なぜ山村留学は必要なのか
私たちが我が国初の「山村留学」という教育活動を始めてから、約40年が経とうとしています。いわゆる昭和30年代の高度経済成長期を境に、子ども達を取り巻く生活・教育環境は大きく様変わりし、その中で「子ども達自身も大きく変化した」と思われています。しかし、長年子ども達と接してきた私たちの目から見れば、子どもたちの本質は少しも変っていません。子ども達を育てる我々大人の姿勢が変わらざるを得なくなったというのが実際なのだと思います。子ども達の本質とは、未知なるものへの好奇心であり、様々な実体験を通じた、文字通り「体得すること」への渇望です。今の社会環境の中では、その好奇心はゲームやスマートフォン、固定化された人間関係などの小さな世界に限定されがちで、子ども達が本来望んでいる本質とは程遠いものと感じます。
例えば、私たち日本人の生活・精神文化を支える根源とも言える稲作を例に考えてみると、学校教育の分野においては学校田で田植えと稲刈りをして終わりという、断片的な作業体験を通してあたかも稲作すべてを理解させるような授業を見聞きします。しかし実際の稲作とは、田植えの前に田起こしや代掻きという重労働があり、苗代で育てた苗を植え、実りの秋を迎えるまでには、雑草や病害虫の駆除、日々の水管理、そして稲刈りをした後も脱穀して精米するという、額に汗する作業が待ち受けています。更に藁まで再利用するという、長い時間、全く気の抜けない仕事の繰り返しなのです。このように稲作一つをとっても、現代社会や子ども達を取り巻く環境は、物事の本質や本当の姿を子ども達に伝えるには、とても難しいものとなってしまいました。
そんな中、私たちの山村留学は、子ども達自身が日々の生活・自然体験の積み重ねの中で、物事の本質というものを、自ら獲得することを願うとともに、子ども達の体得することへの渇望に応えていく環境づくりを行っているのです。
なぜ山村留学を始めたか
当財団の設立は、創設者が山間部と都市部で教員生活を送った体験が出発点になっています。長野県の旧高遠町(現伊那市高遠地区)で中学校の教員をしていた時、子ども達は貧しいながらも農家の立派な働き手であり、田んぼや原っぱを遊び場として目は輝いていたそうです。そこには、子どもが子どもらしく、地域や大人に見守られ、安心していられる「居場所」があったからだと思います。その後、東京の小学校に赴任した時、高度経済成長期の真っただ中にある東京は、スモッグで空気は汚れ、川にはヘドロが流れ、校庭はコンクリートで埋め尽くされ、遊び場もなく、保護者からは進学勉強を求められるという、長野県とは180度違う環境の子ども達に出会いました。その中で、創設者は「真の学力」とは何か?と自問自答したそうです。体験に裏打ちされず、物事に積極的な興味関心を持たない子ども達を前に、机上の学習活動を続けていくことが果たして本当に子ども達にとって幸せな教育環境なのか。このような学校教育の中で「真の学力」が身につくのか。このような疑問から、本会を任意の青少年団体として創設し、体験教育活動を続ける中で得た一つの答えが、山村留学だったのです。
山村留学の目的
「山村留学」を始めた当初は、周囲の理解を得ることは大変だったそうです。子どもは親許で育てるもの、育児放棄ではないかと。しかし、その実践活動を繰り返す中で徐々にその理解者が広がり、2010年には文部科学省の中央教育審議会答申にも、私たちの活動が大きく取り上げられました。そしてブームと言っていいほど全国各地に「山村留学」を看板に掲げる団体が現れて、最盛期には90自治体、160~170の小中学校が山村留学という看板で子ども達を募集し始めました。しかし、これらの中には「過疎対策」「学校保全対策」として取り組んだところが数多くあり、教育理念や体験教育プログラムもなく、単に子ども達を都会から呼び寄せて、複式学級回避や学校統廃合対策としてこの事業を行うという状況が見られました。しかし山村留学の原点は教育活動ですから、そこにはやはり目的と理念そして確たる実践活動の積み重ねが必要不可欠です。それがなければ単なる移住であり子ども達にとっては転校になってしまいます。
本会では、山村留学発祥の地である長野県大町市の他に、全国6カ所の山村留学に指導員を常駐させ、その活動をサポートしていますが、私たちの基本的な教育理念に沿ったカリキュラムだけでなく、地元住民や学校、教育委員会と連携して、それぞれの地域特性を活かした教育実践活動を展開しています。
また、最近では「いじめ」や「不登校」などの問題を抱えた子ども達の、いわば“駆け込み寺”として「山村留学」を見ている方が増えてきました。はっきり申し上げて、それは全くの誤解です。前述したように、私たちが取り組んでいる「山村留学」には、独自の教育プログラムがあり、創設以来の理念と目的があります。もちろん、問題や課題に直面した子ども達やその保護者からの相談には真剣に向き合いますが、単に現状を変えたい、環境を変えたいというだけのご希望はお断りしています。
では、私たちの山村留学の目的とは何なのか。それは前段で述べたような集団生活や様々な体験の蓄積の中から物事の本質に触れ、個々の興味関心をもとに自身の可能性を育てていくというのはもちろんですが、最近ではもう一つ、我が国の農山漁村での暮らしを通じた様々な生活・自然体験を積むことで、日本人が有史以来、連綿と受け継いできた日本人の精神文化を体感し体得する中で、日本人としてのアイデンティティの基盤を醸成することだと考えています。
例えば、前述の稲作のような農作業は集団及び地域作業として営まれてきました。集団や地域の中で和を乱せば豊かな収穫は期待できません。それはそこに関わる人々の生命に関わることをも意味しています。日本的ないわゆる集団主義には賛否両論ありますが、稲作を基盤とする社会を構成してきた我が国の歴史の中では、自らを律し他者を敬い、和を乱さず自ら進んで協働する精神は、日本人のアイデンティティの醸成に深く関わっているような気がしてなりません。このような人間関係を構築する能力を育むのも山村留学の大きな目的だと考えています。
山村留学の体験を糧に
「山村留学」を通じて様々な生活・自然体験を積んだ子ども達は、周りへの気配りを忘れずかつ自らを律することを覚え、また体験に裏打ちされた自信に満ちています。誰に言われるまでもなく集団の中で自分の役割を考えて行動しています。誰かを仲間外れにしたり、自分の我を通すだけのような行動をしたりはしません。そして、農山漁村地域に根差した生活体験の中で、日本人としてのバックボーンと誇りを身に付けた子ども達は、それぞれに目的意識を持ち、日本に留まらず世界へと飛び出している子ども達がたくさんいます。
「山村留学」は、個々の子ども達の個性・特性を高めると同時に、日本人としてのアイデンティティの基礎を固め、世界に通用する国際人を育てる一助にもなっていると信じています。
公益財団法人育てる会
代表理事 青木厚志
代表理事 青木厚志