「修園生のふるさと」
山村留学指導員 今野公彦
くらぶち英語村が2018年にスタートして今年度で7年目となります。世界各国から集まった外国人スタッフと一緒に作り上げる山村留学は国内初の取り組みです。模範となる施設がないので、当初は試行錯誤の毎日だったのを思い出します。それから7年の月日が経ち、気付けば約90名を超える留学生が英語村を巣立ちました。
今回は1人の修園生が、英語村を訪れたエピソードを紹介したいと思います。
「共生」
山村留学指導員 加賀美嶺
例年に比べ少し長かった夏休みも終わりを迎え、くらぶち英語村も全員元気に、二学期の生活をスタートしています。夏休み明け、草の伸び切った畑に子どもたちを連れていくと、熟れすぎて落ちてしまったトマトや、黄色くなったキュウリがちらほら。その中に、明らかに動物に食い荒らされている野菜が目立ちました。今年度は、特に動物による畑の食い荒らしがひどく、秋に収穫するはずの野菜が一学期の時点で掘り返されてしまうこともたびたびありました。夏休み明けには、「今年はあまり野菜取れなかったな」と漏らす子も。さらに、一学期には近くの神社に猿を見に行き、追いかけられて転び、怪我をして帰ってきた子もいました。山村留学の中で、自然と絶妙な距離感で付き合っていくことの大切さを改めて実感した出来事でした。
「好奇心」
山村留学指導員 村田宗一郎
「見て見て!大きいクワガタがいるよ!」みなかみのキャンプ場で子ども達が喜んでいた。そこにある指導員がやってきて、クワガタを捕まえ、「これは深い山と書いてミヤマクワガタというんだよ。森の深い山にしかいないんだ。」と説明を始めた。あっという間に十人ほどの子どもが集まり、楽しそうに説明を聞いていた。その瞬間、子ども達が何かに興味を持ち、実際に触れ、新しい知識を得ていたすばらしい瞬間だと感じた。
「フリータイム」
山村留学指導員 谷田怜海
4月よりくらぶち英語村に異動してきた。新天地に慣れるのに3か月はかかる私にとって、5月はカルチャーショックに向き合う時期。特に働き方は以前との違いが多く、私が慣れなくてはいけないことばかりだ。
「私が山村留学中!」
山村留学指導員 今野真由
くらぶち英語村の立ち上げとともにここ倉渕に移住してきて、丸6年になろうとしている。生まれて初めて東京から出て住んだ町がこの山村地域、倉渕である。生まれも育ちも東京の私にとって、始めはまさに、山村留学だった。
「子どもを信じる」
山村留学指導員 山崎ひかる
「グッドモーニング!」緊張した面持ちで、高崎駅に集まる親子と挨拶を交わす。週末コースを担当して二年目、毎回変わる子どもたちと二十回近くの活動をしてきた。昨年、この育てる誌を書いたとき、子どもたちの活動にどこまで口を出してどこまで指導するべきか悩んでいた。しかし、一年以上経った今、子どもとの関わり方の中で気付いたことがある。
「留学生の海外体験」
山村留学指導員 今野利彦
夏休みを終えて子どもたちが「I'm home!」と言って英語村へ帰ってきた。私が「夏休みはどうだった?」と英語で一人の子どもに聞くと、「アユタヤ遺跡を見てきたよ!」と答えた。彼は、英語村の修了生たち数人とタイを旅行してきたそうだ。タイの旅行について話を聞いていたところ、後ろから「僕はマリーナベイサンズに行ってきた!」と、僕の話を聞いてくれ!と言わんばかりに別の子が割って入ってきた。彼は、シンガポールにある5つ星ホテルに宿泊し、屋上にあるプールから、近未来的な景色を見てきたと話をしてくれた。そんな話をしていると、また別の子が「みんな楽しそうな旅行をしていていいな〜」と加わってきた。「僕は家族と2週間インドへ行って、大変な思いをしてきたよ...」と話し始めた。タージ・マハルなどの美しい世界遺産を見ることはできたけど、ガンジス川に行ったり、宿泊したホテルは蒸し暑くて汚かったり、街はゴミだらけで臭いがきついし空気は悪いし...と、とにかく壮絶な体験をしてきたようだった。
「成長」
山村留学指導員 山本彩乃
留学生が英語村へ入村してきて、早いもので四ヶ月を迎えた。倉渕町を思う存分楽しみ、すっかり日焼けした肌に逞(たくま)しさを覚える。きれいだった服装も、今では汚れ跡が見られ、手足には傷跡や虫刺され跡が残っている。それらの跡は、ここではとっておきの勲章だ。彼らが一日一日を目一杯生き、この土地で育った証である。
「山の幸」
山村留学指導員 主代望都
四月、英語村は六度目となる新たな春を迎えた。緊張の面持ちで英語村にやってきた子どもたちも、少しずつ生活に慣れてきており、まるで土から伸びてくる芽のように個性を発揮しだしている。
「歩いて下校する中学生」
山村留学指導員 今野公彦
冬休みが終わり、くらぶち英語村に賑(にぎ)やかな子どもたちの声が戻ってきた。休暇中の楽しかった思い出を生き生きと話す子どもたちの姿を見て、それぞれが有意義な時間を過ごしたのだろう、と想像してとても嬉しくなった。