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笑いの境界線

山村留学指導員 斉藤夏海

 先日、学園生が市の職員Nさんを"いじり"ました。付き合いが長い二人はいつもため口で話していて、その子は何の悪気もなくみんながいる前でただ笑いをとりにいっただけでした。しかし私はその時どうしても笑えないどころか気まずく悲しく感じたのです。私にとってはいじりの範疇(はんちゅう)を超え無礼極まりなく見えたのでしょう。また子ども同士でも、いじり・いじられているシーンをよく目にします。笑えるいじりもあればそれはどうなのと思うものもあり、その境目は思ったよりも複雑で難しいものだと感じています。

 バラエティー番組では毎日お笑い芸人が"いじり"で視聴者の笑いを誘っているし、欠点を笑うというのは日本の笑い文化では昔からあるものです。では笑えるいじりと笑えないいじりの違いはどこにあるのでしょうか。一つはいじる人といじられる人、またそれを見ている人との関係性だと思います。普段から信頼関係や意思疎通がしっかりできているのか、いじられた側も楽しさや愛を感じているのかということではないでしょうか。それに加えて言い方も大切です。どんなに仲がいい人たちの間でもキツすぎる言い方は避けるべきだと思います。言葉や言い方に対する感度は人それぞれで言われた人はもちろん、聞いている人もこっそり傷つくことがあるからです。笑えること、笑えないことの線引きは難しく、人間関係や他人の感情の機微をしっかり捉える力を鍛えることが必要かと思います。

 先日大田市内にある石見銀山がブラタモリで特集されました。その際にタモリさんが温泉津温泉の読み方を「ジョンソンエンドジョンソンみたいなものですね」と言いました(もちろんタモリさんは本当の読み方を知っていましたが)。それを見て何人かの子どもがクスッと笑いました。言葉遊びや自分をネタにしてボケるなど、人を傷付けることなく笑いを誘う方法も身につけてくれたらと思います。















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