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「時代にぶれない教育」

山村留学指導員 今野 利彦

 春を迎え、夏に差し掛かろうとする今、山肌の色が枯野色から緑色へと変化していく。新緑豊かな山の中で鳥の囀(さえず)り、川のせせらぎを聴きながら爽やかな空気を感じる。登山に最適な季節である今日、山に行きたい気持ちを抑えて私は部屋で執筆している。

 そんなことはさておき、昨今私は疑問に思っていることがある。それは学校のタブレット導入、それに伴い子どもがそれらを家に持ち帰ることについてである。もちろんタブレット導入は悪いことばかりではなく、多くのメリットがある。しかし、私たち大人でもタブレットとの正しい付合い方ができていない中、それを子どもに渡すことはいかがなものか。
 英語村では夜9時からの1時間静寂が訪れる。それには2つの要因がある。1つは小学生の就寝時間が9時であること。もう1つは中学生のiPadの使用が許されるからである。この静寂は子どもたちの会話が減っていることを意味する。人間関係を学ぶ場でもあるため、画面と向き合うのではなく人と向き合ってもらいたい。ここでは1時間と定められているが一般家庭ではどうだろうか。家族の会話が減っていないだろうか。少なくともタブレットのおかげで会話が増えたという家庭はないのではないか。そのような点で私はタブレット導入に疑問を持っている。
 先日英語村では親子活動が行われた。その際、1人の英語村卒業生が顔を出してくれた。彼は私にこんなことを話してくれた。「英語村で1番良かったことは限られた時間でしかiPadが使えなかったこと」。彼の周りの友達は授業の合間など、時間が許す限りスマホを使用しているそうだ。そしてそれに時間を奪われていることに気づいていない。彼が卒業して、このことに気づくことができたのは大きな学びである。今の子どもたちに必要なものは与えることではなく、不足を与えることであると考える。そういった意味で、私は育てる会が謳(うた)う「ノーメディア」を大切にしていきたい。















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