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「神楽に触れる」

山村留学指導員 浅平泰地

私が初めて神楽を観たのは中学1年生の頃だ。山村留学生だった私は、受け入れ農家の母さんに連れられ、夜の神社に出かけた。到着した時にはすでに公演が始まっており、会場の雰囲気も温まっていた。たくさんの大人たちが、たばこをふかし、思い思いの話をしながら神楽を鑑賞している。演者は一見同じような動きを繰り返しながらも、奏楽と相まったその舞は独特の威厳をまとっている。演目ごとの見せ場がやってくると、会場からは歓声が上がり大いに盛り上がる。その晩は、短時間ではあったが、どこか夢のような幻想的で印象深い思い出として残っている。

なにかのお祭りや、舞台などの文化講演に触れる機会は、日本で暮らしていればそれなりにはあるが、少なくとも私にとってそれらは、自分とは別世界のもので、一時的に観客として触れる機会があるという程度の実感しか持たないものであった。特にお祭りや伝統芸能は、生まれ育った地域や家庭とかかわりが深く、ひとたびそういうものと無縁な環境に生まれ育てば、よほどのことがない限りそれらを内側から作る立場に立つ機会はやってこないように思う。そして、観客としての立場からすれば、それらを催したり演じたりすることに現実味を感じることは少ないのではないだろうか。しかし指導員として三瓶に戻ってきて改めて神楽を観た時、それとは違う感覚を感じた。普段よく知っている地域の方や、学園生と同じ学校に通う地元の生徒が、神楽を演じていたからだ。知らない人がやっているものでは得がたい、血の通った印象をそこに感じることができた。
そして幸いなことに、山村留学生は神楽を実際に舞う機会が与えられている。神楽団のご厚意で、山留生は約半年間の指導を受け、修園の集いではそれぞれ練習した演目を披露する。別世界のものだった神楽を、自分自身が舞う、それだけでも三瓶に山村留学をする大きな醍醐味(だいごみ)ではないだろうか。















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