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タブレットと子どもたち

山村留学指導員 主代 望都

あっという間に季節は過ぎて、気が付けば二月になろうとしている。今年は特に寒かったからか雪の日が多く、子どもたちが雪遊びに興じる元気な姿が多く見られた。霜柱や雪に興奮する子どもたちを見ていると、自分が幼かったころの光景を思い出し、新鮮でいて懐かしいような不思議な気持ちになる。頬も手も真っ赤になりながら、雪の中を駆けずり回る子どもたちの姿は、きっと万国共通且つ普遍的なものなのだろう。

 一方で、自分の幼少時代とは著しく異なる現状に多少の不安を覚える。もちろん、世界的に大きな問題になっている新型コロナウイルスは言うまでもない。他者とのコミュニケーションが気軽に取れず、外出もままならない、非常に閉塞感のある状態だ。そんな中で子どもたちは、何らかの形でストレスをため込んでしまっているのではないか。そしてその結果、子どものスマートフォンやタブレット依存の問題が加速している気もする。
 コロナウイルスの蔓延(まんえん)に伴って、全国的にタブレットでの学習が一般化してきている。どんな状況でも学習が可能になったという意味では喜ばしいが、メディアに飢えている山村留学生にとっては刺激が強すぎるのだ。スタッフから隠れてタブレットをいじったり、ゲームをしたりとトラブルが絶えない。
 人類は発明によって文明を発達させてきた。発明によって受ける恩恵は大きいが、失うものも多い。車やテレビ、コンピューターは人の身体能力、思考能力や忍耐力を奪いつつあるように感じる。このまま子どもたちがタブレットをいじる光景が当たり前と化していったら、次に私たちが奪われるものは何なのだろうか。もしそれが共感性や理性、倫理観であるのなら、これほど恐ろしいことはない。
 血の通ったコミュニケーションがとりづらい現在、文明の利器のありがたみを感じている。だが子どもたちのために再度、山村留学におけるタブレットとの付き合い方を考える必要があるのだと思う。















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