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「石見弁を話す山村留学生」

山村留学指導員 齊藤夏海

 「あめ」か「あめちゃん」か。夕食時、話題に上るのが方言の違いです。三瓶こだま学園には関東、中国、九州、海外で育った子どもたちがいますが大多数は関西出身。私は関東出身。四月にセンター生活を始めた頃は関西の方言ばかりで寂しい気持を感じていました。
 夏休みには、それぞれ地元に戻り八月末にセンターに帰ってきた時には、しばらく子どもたちは自分の地元の言葉を話していました。しかし九月末になると、もちろん子どもによって差がありますが、すっかり石見弁を使いこなしている子もいます。

 そこでふと「その土地の言葉を話すことにはどんな意味があるのだろうか」と疑問を持ちました。
 私は流暢に英語を話せるわけではないですが、英語を使っている時は自分が違う性格の持ち主になったように感じます。普段より明るくてオープンになります。言語そのものの違いもあるでしょうが、おそらくそれは私が英語を学んだアメリカやオーストラリアでの生活を通して文化や人々の考え方に触れたからでしょう。
 アメリカやオーストラリアでは店員さんとの挨拶も"Hi, how are you?"と、しっかり目を合わせて相手の調子を尋ねるところから始まります。一方、日本では店員さんと短い会話どころか挨拶を交わすことも少ないです。
 私自身も英語で話しているか日本語で話しているかで他人との距離の感じ方が違うような気がします。違う言語を話しているときは、自分の考え方や感じ方も少し違うのです。全く別の言語でなくても山村留学での方言にも同じことが言えるのではないかと思います。
 農家さんや学校の先生、地元生と一緒に生活しその土地の言葉を使う中で、人々や文化をより深く理解し、新しい価値観を見つけ、さらには、もう一つの自我を形成しているように見えます。
 言葉はともすれば、コミュニケーションの道具と見なされがちですが、学園生が使う「石見弁」には、それ以上の意味があるように感じます。















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