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祖母の死

山村留学指導員 高木陽光

 先日、祖母が亡くなった。享年一〇五歳。大往生である。兄弟の中でも遅く生まれた私は一番若い孫。曾孫は私の一つ上の年。少しややこしい関係性だが仕方がない。

 記憶の限りでは、二世帯住宅だった私の実家は、一階にお風呂がある。「お風呂いってきまーす」と階段を降りると祖母の生活スペースに突入する。決まってテレビの前の掘り炬燵に座り、野球中継を見ていた。私が山村留学で売木に行ったあとは、何通か手紙をもらった。しかし、手紙を返した記憶がない。もっと言うと、面と向かってしっかりと話した記憶すらない。とても後悔している。
 二世帯住宅であったが故に所謂「おばあちゃんの家」というものが実質存在せず、なんとなく日々を過ごしているうちに私は山村留学に行った。地元に戻ってくると同時に祖母は施設に入り、家からいなくなった。だから一緒に暮らしていたのは私が生まれてから小学六年生までの一二年間だけ。記憶に残っているのは、せいぜい五?六年間。もっと色々な話を聞いておけばよかった。
 「命はいずれ尽きるもの。」そんなことは誰でもわかっている。しかし漠然とした死というものを具体的に考えることは稀だろう。もうすぐ三〇を迎える私も死を真剣に捉える機会はあまりない。子どもなら、なおさらだ。
 一年間、学園生活を送った山留生の仲間たちは兄弟となる。かくいう自分は三年間過ごした兄弟たちがいる。修園を迎えてから会っていない妹や、毎年のように会う兄など様々だが、間違いなく友達以上の存在である。私の年代では、まだまだ死は遠い存在。だが、その日はいつかやってくる。無限に感じる時間の中でもそれはやってくる。祖母は大きな病気では無く老衰。だからこそ、時間の限りの大切さを教えてくれた。
 山留生が一緒に過ごす期間は長いようで短い。当たり前だった日々は修園のつどいを境に終わる。似ている感じがした。一瞬一瞬を後で後悔しないよう過ごして欲しい、そう伝えなければならないと思った。















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