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「米ポップコーンの思い出」

山村留学指導員 浅平泰地

 最近こんな出来事があった。稲刈りにむけて、刈った稲わらを束ねるのに使うヨリを作る活動をした日のことだ。ヨリとは、昨年収穫した稲を利用し、藁の先の部分をより合わせて作る簡易的な縄のようなものである。活動のあとは、残っているヨリ作りに不要な藁くずを、庭先で焼くことにした。
 ドラム缶に火を焚き、藁くずを入れて燃やしていると突然、あることが起こった。それは、燃えて黒く縮れていく稲わらの中で突然、小さな白い綿花がぽっと開いたような、美しくて子気味のいい現象だった。何が起こったのかといえば、藁くずの中に混ざった、脱穀で取りこぼされた稲穂が火で温められ、中の米粒がポップコーンのようにはじけたのだ。

たしか昔、三瓶の農家さんが玄米を炒っているのを隣でみていた時にも、やはり同じようなことが起こっていた。その時、はじけた米をおやつ代わりに食べさせてもらったことを思い出し、目の前で同じようにはじける米をすかさず火から拾い上げた。食べてみるとそれは、素朴で香ばしい、地味だがなんともいえないおいしさだった。
 近くで様子をみていた子どもたちにも勧めてみると、美味しそうにぱくぱくと食べる。それから子どもたちは藁に残った稲穂を探し集め、私は竹を半分に割って作った即席のフライパンで米ポップコーン(今思うと安易な名前である)と名付けたそれを、しばし本来の目的もそっちのけで作り続けた。
 ひょんなことから生まれたこの即席のお菓子を子どもたちと作って食べる一連の体験はなんとも言えず幸せな時間で、私にとってはとても感慨深いものとなった。
 このうれしい出来事はちょっとした偶然によって生まれたが、そこにこの質素なおやつをおいしいと喜んだ子どもたちがいたからこそ成立したことは間違いない。
 こんな感受性がはぐくまれたのが山村での生活故なら、限られた生活が、むしろ子どもたちの体験の幅を広げることを示す良い例になったのではないだろうか。















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