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育てる会であるよりも
大川村ふるさと留学
山村留学指導員 有坂亮祐
梅雨の終わりごろから、ひぐらしがなきはじめ、気づいたころにはツクツクボウシがなき始めている。うだるような暑さの八月上旬。このころからすでに夏の終わりを感じさせる声だった。
新年が明けて早八か月。ブログの一件(「育てる」通巻第635号指導者だより参照)があってから、村の人と関わる機会が劇的に増えた。いや、意図的に積極的にかかわるようにした、といったほうが正しいかもしれない。
留学指導員の仕事は、子供と接すること。仕事内容がそれだけだと考えたら、村の人と積極的に接しても、子供に還元できるものなど、たかが知れているように思えた。しかし、活動中に留学生を連れ、田んぼ作業や村内散策をしているときに、私が村の人と楽しそうに談笑していると、留学生がその会話に乗っかってくることがあった。
村の人と親しくなることで、意図せずに、子供と村の人との懸け橋的な存在になっていた。一見、直接は関係のないようなことでも、副産物的に得られるものがあるのだなと、実感した出来事だった。
村の人とウナギを釣りに行ったり、一緒に五輪野球をテレビで見たり、新しく村外から来た人と村の散策に出かけたりしながら過ごした八か月。留学センターや教育委員会にいるときは、「育てる会の職員」という看板がつきまとっているが、それ以外の時間は一人の大川村民としての時間が流れていった。
「育てる会の職員」という看板を降ろす時間はこれまではないものだと思っていたし、降ろす必要もないと思っていた。
しかし、その看板を降ろしたことで、村の一員として過ごすという新しい楽しみを感じることができた。その看板を降ろしたことで、村の人との人間関係が明らかによくなっていくのを感じた。
村の人が何よりも望んでいたのは、育てる会の人間ではなく、村の一員として、同じ目線に立って物事を考えてくれる仲間なのかもしれない。