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やりっぱなし

山村留学指導員 戸田佐和子

 五月中旬、学園の食堂や厨房・トイレの手洗いの蛇口が、吐水口(とすいこう)に手を近づけると水が出る自動水栓に変わった。新型コロナウイルスの接触感染を予防するためだ。非接触で、より衛生的に手洗いを行え、必要な時だけ水を出し自動的に止まるので、節水効果も高い。使用後の閉め忘れがなくなり、「誰?トイレの手洗いの水を出しっぱなしにしていたのは!」と私が声を荒らげることはなくなった。

 しかし、全てが自動水栓になったわけではなく、手で握ってひねる手回し式の蛇口も多く混在する。すると、どうなるか......。子どもたちならいざ知らず、私は愚かにも手動式蛇口の吐水口の下に手を差し出し、待つようになった。はたまた後付け工事したセンサー式の自動水栓を握り、ひねってしまったことも。数秒後に気づき、自分の間抜けさに笑うしかなかった。
 学園では流し掃除の最後に、雑巾などで水気を拭き取る。一滴の水滴も残さぬよう拭っていると、自動水栓のセンサーが感知して吐水。「あー、もう! 全く!」と叫んだことも一度や二度ではない。
 自動水栓に交換した箇所については、水の出しっぱなしはなくなったが、子どもたちの生活場面に目を向けると、依然として共用の場所や物でのやりっぱなしが多い。
 部屋から離れる際の電気の消し忘れや散らかしっぱなし、使った椅子の出しっぱなし、扉などの開けっぱなし、取り込んだ洗濯物の置きっぱなしなど目に余る。
 しかし、自動で開閉するドアや自動照明の部屋が珍しくない便利な世の中に生まれた子どもたちにとって、自分で閉めたり消したり片づけたりする習慣がないのは当然かもしれない。自動化に慣れてしまうと、やりっぱなしにしないという意識が希薄になり、様々なことを忘れるリスクが増幅するように思う。
 これから暫く、箱膳(はこぜん)を使って食事をすることにした。作法のみならず、各々が何事も使う時に出し、使い終わったら片づけるということを習慣づけられると思うからだ。















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