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冬の風物詩
山村留学売木学園
山村留学指導員 戸田佐和子
十二月上旬にドラム缶窯で炭焼き体験をした。木炭の特性の素晴らしさを知った学園生たちは、一生懸命準備し、火入れ後は責任をもって定時毎に窯を見に行き、焚口に薪をくべる作業を数日間引き継いでいった。窯が冷えるのを待ち、下旬に窯出し。全て灰になって何もないのではないか、生木のまま残っているのではないかと、不安を抱えながら蓋を開けると、炭が!
一同安堵し、全て取り出してみたら、窯に詰めた約半分は炭化が不十分だった。炭になりきらないものがある程度発生することは予想していたが、炭焼きの奥深さや一朝一夕で習得できる技術ではないことを痛感した。
冬は原料となる生木の水分が減るので炭焼きには最適で、農家にとっても農閑期の副業として好都合だった。昭和十五、十六年には日本一の生産を達成したほど、炭焼きは売木村の一大産業として栄えた。大正時代には越前衆と呼ばれる福井県出身の専門集団が村に入り、山の権利を買い取って盛んに炭を焼いたり、一度に大量生産できる大窯を築いた逸話も残る。
村人たちは越前衆の仕事を手伝いながら、窯造りのノウハウ、煙の色などで内部の状態を推測し火を止めるタイミングを見極める極意を体得し炭焼きに参入していった。大正十年には村内に炭焼き職人が七十七人、昭和十年から数年にかけ最盛期を迎えたらしい。しかし、現在では炭焼きに熟知された人が減少。このままでは伝統や技術が途絶えてしまうと危惧した村が、数年前に炭焼き継承一大プロジェクトを実施したのだ。
そんな背景を、活動中に子どもたちに話せばよかった。また、ご健在の熟練者に指導を仰ぎ、煙の色・におい・温度の変化から炭化進度を判断し適時に窯止めするという、経験と勘のなせる技を学園生たちに直に見せたかったとも思う。単発ではなく、今冬中に何度か炭焼きを体験させたい。昔に思いを馳せながら、今でも山中に点在する窯跡を巡りたいものだ。