「新入園指導員」
山村留学指導員 上野芽生
今年三月に大学を卒業し、春から指導員として八坂美麻学園にやって来た。
新入園生と同じで、初めてのことばかり。わからないことだらけで右往左往する日々が続いた。学園生に「これはどうすればいいの?」と聞かれても「ごめん、分からないから他の指導員に聞いて」と答えられないことばかりで情けない思いをすることも多くあった。
収穫祭にむけての時間
山村留学指導員 高木陽光
10月に入ると、気温も下がり朝はかなりの冷え込みになる。秋が深まっていくこの時期から、学園生は本格的に収穫祭、そして学校文化祭の白樺祭に取り組んでいる。
収穫祭では、個人でテーマを決めて、追求、研究をしていくものがある。生き物や工作、村の風土に焦点を当てて、それぞれが創意工夫をしている。
農業はタイミング
山村留学指導員 伊藤僚
3週目の土曜日に間引きをした畑は、ダイコン、野沢菜、青梗菜など葉物の間引きと草取りをしました。
種まきの時点で多めに撒いてしまっていたので、「いっぱい採れたよ〜」「洗うの大変そう!」と子どもたちがコメントするほど。一輪車山盛りと、コンテナ1つ分の大量の間引き菜が採れました。
『家族とライバル』
山村留学指導員 水落碧衣
今年度の留学生活が始まって半年が経過した。最初は血のつながりがない人たちと同じ屋根の下で暮らすことに慣れず、子ども同士がぎこちなくやりとりをしていたが、今は楽しく食卓を囲み、一緒に活動にチャレンジする姿も見られるようになった。
同年代の人が集団で生活していると、意識してしまうのが、学年の近い者同士の関わり合いだ。最初は友達として仲良く遊んでいたのが、数か月経過して相手の性格や能力がわかるようになると、自分より優(まさ)っている部分がやたらと目立って見えてしまい、「自分も負けたくない」と闘志を燃やす、ライバルとしての関係が現れてくる。
保護者と指導員
山村留学指導員 有坂亮祐
空を見上げれば飛んでいた燕の大群がいつの間にかいなくなっている。彼らは冬を越すために遠く南の方まで飛んで行ったのだろう。遠い所へ行くものはインドネシア諸島を経由してオーストラリアまで飛んでいく説もあるとか。過酷な長旅なのは想像するにたやすい。
「見守る学び」
山村留学指導員 江田静香
私は好奇心が旺盛で、おっちょこちょいな子どもだった。小・中学生の頃は学校でよく怪我をして、母親が駆けつけてくれていた。今思えば母親は働いていたため、迎えに来るのは大変だったと思う。
昔は小学校に様々な遊具があり、一緒に遊んでいた友達はみんな運動神経が良かった。私もみんなと同じように遊びたいと、挑戦しては毎回どこか抜けていて、母親に面倒をかけることが度々あった。二メートルほどの高い鉄棒で前回りをしようとして、何故かはわからないが、手を離して顔面から落っこちたり。またある時は、「ホチキスで指を挟んだらどうなるのだろう?」と訳の分からない好奇心から、爪ごと指を挟み血だらけになったり。今となっては笑い話だが、これら以外にも沢山のエピソードがある。