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「静寂の食卓から得る学びとは」

山村留学指導員 浅平泰地

 全員が同じ方向を向き黙々と箸を動かしている。静まり返った食卓。こんな様子がもう1週間ほど続いている。
 くらぶち英語村で最も賑やかな時間のひとつは、間違いなく夕食のひと時だろう。いつも賑やかに、その日の出来事などたわいのないことを話す子どもたち。外国人STAFFの英語での質問にも難なく答える。食卓は英会話の実践の場としても貴重だ。しかし、時に、その賑やかさは度が過ぎる。

 人気のおかずのお代わりには、ほぼ全員の子どもたちが席を立ち、お代わり争奪のじゃんけん大会が繰り広げられる。勝利の雄たけびや敗北の悲鳴が響き、指導員に注意されることもしばしば。
 英会話の実践の場としての食卓と、節度をわきまえた食事の作法はなかなか相容れない。このバランスは今後も食育の課題になるだろう。
 しかし、もう一つの問題がある。どうやらおしゃべりに夢中になるあまり、肝心の食事そのものにそそぐ注意が散漫になっているのだ。食べながらしゃべり、頭の中ではお代わりのことを考える。目の前にしている食事への注意や感謝が薄れているのではなかろうか。
 現在、英語村では、ウイルス対策として、全員が同じ方向を向き、一言も会話することなく食事をとっている。するとどうだろう。食事中向き合うものは、目の前に置かれた一膳の食事だけだ。注意散漫になることもなく、一口一口をかみしめている。いつもならお祭り騒ぎのお代わりも、静かに数人が手を上げ、適量をよそって席に戻る。これほどに目の前の食事に五感を集中させたことが、かつてあっただろうか。
 コロナ禍といわれるこの状況は子どもたちに多くの制限を強いる。早く状況が改善することを願っているのは、だれしも同じであろう。しかし、この制限された状況が奇しくも子どもたちを食へと向き合わせた。じきに英語村にもいつもの食卓の風景が戻ってくるだろう。それまでの間、彼らは静寂の食卓から何を学び取るだろうか。















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