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「ヒマ?」
三瓶こだま学園
山村留学指導員 邑上貴厚
こだま学園の子どもたちは帰園から2週間の間、センターの敷地内のみで生活や活動を行うこととなっている。8月26日の始業式(オンラインでの)が始まるまで、学園内で暇(ひま)を持て余す子がちらほら見受けられたように思う。
学園の施設内で読書すらも飽きたというような「ヒマ〜」という声。その声を聴いた時、そんなことはないという気持ちと同時に彼らの言葉に共感した自分がいた。
こだま学園の敷地は広大で、雑木が茂る裏山や芝生の平地、ちょっとした池など、私としては遊び心をくすぐられる要素がたくさんある敷地なのではないかと思う。しかしこの認識自体、忘れていた認識なのではないだろうか。
幼少期を思い返してみると、側溝を流れる水、道路に引かれた白線、空き地の地面でさえも遊びの源泉になった。
大人になるにつれて少しずつ形の決まった娯楽に出会っていった。漫画やゲームといったものに始まり、スポーツもそこに含まれていいだろう。そうした刺激的なものから切り離された時、本当はそうでなくとも私たちは「ヒマだ...」と感じるのだろう。
8月24日、「ヒマだ〜」と言う子どもたちを横目に、センター前の池を掃除してみた。水をバケツでひたすらに掬っていると、何人か興味を示し集まってきた。
最初は黙々と水をかき出していたのだが、次第に池の生物が顔を出し始めると、今度は「生き物を保護するぞ!」と遊びに発展。こちらも作業を強要することはせずに様子を見ていたが、次から次へと新しい遊びが出てくる。
ホースを使ってサイフォンの原理の実験、かき出した石を使って水の通り道を作る...。
「ヒマだ」と感じられた空気は一転して入浴する時間すらも忘れるほど充実した時間を過ごすことができたようだ。
現代は、形の決まった娯楽にあふれている。遊びを0から生み出す力を育むことが、大切なのではないだろうか。