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『日記』
三瓶こだま学園
山村留学指導員 水落碧衣
大人も子どもも、誰もが一回は書いたことがある「日記」。三瓶こだま学園の子どもたちも学校の宿題で日記を書くことがあるが、「今日はこれを書こう!」とスラスラ鉛筆を走らせる子もいれば「何を書けばいいかわからない......」と頭を抱えている子もいる。そんな姿を見るといつも懐かしい気持ちになると同時に、モヤモヤしたものも心の片隅に湧いてくる。
私はつい最近まで、日記を書く目的がわからなかった。過去は終わったことだから振り返らない、未来のことは未来の自分に託す、という性格が影響していると思うが、「すでに起こったことは変えられないのに、今日あったことを記録して何が生まれるのだろう」と本気で思っていた。
初めて日記を書いたのは幼稚園の時で、それから毎日書いて親に見せるのが日課だった。最初はうきうきしながらたくさん書いていたが、小学四年生くらいになると、毎日「今日〇〇をしました。楽しかったです」の定型句が並び、書き直しをさせられることも少なくなかった。「書くことがないのになんで書き直しをしなければいけないのか」と内心憤慨したことも覚えている。「書くのが面倒くさい」のではなく「本当に書くことがなかった」のだ。
子どもたちが農家生活に入ってから数日、体調不良で動けなかった時があった。布団の上でゴロゴロする日々、ふと「今の時間がもったいない」と感じた。有限である時間を自ら進んで虚無にしている。まさに時間の浪費である。
この時、「今日過ごした時間は有意義だったか。時間に翻弄されずに過ごし、満足できる一日だったか」を知るために日記があるのではないかと閃いた(当時の私の脳内には雷が走った)。そうではなかった場合は改善点とともに次の目標を書く。それを参考に翌日を過ごす。いいアイディアではないか。
三十歳近くになってやっと、日記の活用方法を知った。今からでも少しずつ、毎日を意味あるものにしていきたい。