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コロナ禍に思う
山村留学売木学園
山村留学指導員 戸田佐和子
新型コロナウイルスの影響で異例づくしの入園から三か月が経った。登校自粛や臨時休業期間を経て、通常登校が再開され一か月余り。授業時間数を補うため、六月中旬からは日課変更が行われたり、中学生の部活動も始まり、俄かに忙しい日々となった。それでも、学園生たちは柔軟に適応し、例年通り、中だるみする時期に入った。生活の綻(ほころ)びを指摘されたり、乱れた生活を立て直すよう指導されたり、山積する人間関係の課題に直面したりしているのも、例年同様。山留生活は、コロナ禍にあまり左右されていないし、売木村では以前とそれほど暮らしぶりは変わっていないと感じる。恵まれた環境であることや農山村の強みが浮き彫りになった。
共有するゆとりのある時間が多かったおかげで、子ども同士の関係の構築は早かった気がする。そんな学園生たちの生活を振り返ってみても、例年以上に、時間的余裕がある中で地域にどっぷり浸かった活動を展開できているように思う。例えば、村内の陶芸工房でのお茶碗作りでは、手びねりで成形した後、粘土が半乾きの時に再度訪れ、高台削り出しの工程も自分の手で体験。継続生でも初めての経験で、皆夢中になって楽しんだ。竹林を整備しつつ竹材活用をと、伸びすぎた孟宗竹(もうそうちく)の筍を使ってのメンマ作りに声をかけていただき、幼竹(なよたけ)を刈り取り、塩漬けにする試みを行う機会も。更に子どもたちは、放流したニジマスを釣り堀状態で釣る、村の渓流釣り祭が中止になったため、自作の竹竿で本来の渓流釣りに挑戦。そう簡単には釣れない現実を知り、魚と対峙する充実感を覚えた様だ。他にも本質に立ち返った活動ができた。また、季節の移ろいや自然の営みに目を向ける時間も沢山持てた。子どもたちは五感をフルに使って豊かな感受性を培い、幅広く興味関心を持つことができていると見て取れる。
当たり前の日常に感謝の気持ちを忘れず、コロナ禍を前向きに捉え、学園生たちと乗り切っていきたいと思う今日この頃。