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『大人になった私の個人体験 - 銀の馬車道を歩く - 』
神河やまびこ学園
山村留学指導員 水落碧衣
収穫祭を終え、心身共にゆとりができる3学期。子どもたちは各個人でやりたいことに精力的に取り組んでいる。そんな姿に刺激を受け、「自分も何かやり遂げてみたい」と思うようになった。
私は過去の留学生活で、個人体験(当時は個人研究と呼ばれていた)を5回経験しているが、手先を使った細かい作業が多かった。「体全体を使った体験をしたい」「大人になった己の限界に挑戦したい」という二つの動機から、私は"銀の馬車道"に着目した。
銀の馬車道とは、朝来(あさご)市生野町にある生野銀山から姫路市播磨港まで、採掘した銀を運搬する際に使われた馬車専用道路で、「日本初の高速産業道路」と言われている。今は舗装されて大きな道路になってしまい面影がほとんどないが、一部は当時の道が復元され、資料館やミュージアムなどもあり当時の様子を見ることができる場所もある。全長約49キロメートル。当時の人が馬車でたどっていた道を自分の足でどこまで歩けるかにも挑戦した。
1回目は、夏の暑さが残る九月中旬。センターを朝六時に出発し、地図を片手にひたすら歩く。汗びっしょりで歩く姿に道行く人から驚かれつつも、「がんばってね」と声をかけていただいた。神河町から福崎町の途中までは県道になっており、産業用トラックが行き交う「現代の産業道路」らしい風景。この日は、姫路市砥堀にある銀の馬車道修築の碑まで約45キロ、約8時間歩いた。
2回目は2月。例年より暖かく歩きやすい陽気。この日は前回と逆方面、センターから生野銀山を目指して歩いた。姫路方面よりも起伏が激しく、生野峠を越えるのがしんどかった。重たい銀を曳(ひ)きながら移動すると考えると、馬でも大変だろうと感じた。この日は約40キロ、約8時間歩いた。
残りは銀の馬車道修築の碑から播磨港までの道のり。約80キロ歩いた今の自分ならできる自信がある。必ずやり遂げて、留学生と一緒に修園を迎えたい。