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英語と私の体験

山村留学指導員 浅平泰地

くらぶち英語村は、その名の通り子供たちが「英語」を学ぶことが一年間の大きなテーマだ。子供たちは日々、外国人スタッフと英語で話しながら生活している。子供たちと活動や生活を共にする日本人指導員も、それぞれ英語が話せる人たちばかりだ。そんな同僚たちと働いていて気がついたことがある。それは、一口に英語といっても、そのとらえ方やこれまでの学習のアプローチが人によってかなり異なるということだ。私自身の英語との付き合い方は、これまでどうだっただろうか。

 高校を卒業するまで、私は英語とは無縁の学生だった。授業には一向に身が入らず、一度はテストで赤点すれすれの点を取ったこともあった。そんな自分にとっての転機は、大学一年生の夏に訪れた。ネパールでのスタディーツアーに参加しホームステイ先の少年と親友になったのだ。しかし彼が英語で話しかけてくれることが、ほとんど理解できなかった。コミュニケーションが取れない悔しさを抱えたまま、帰国後も彼との仲は続き、SNSを通して毎日のように英語で連絡を取り合った。大学でも英会話の講座を受講するなど、英語に触れる機会が増え、おのずと英語力もついた。しかしこの間、モチベーションは英語そのものにあったわけではない。
 目の前にいるこの人と話がしたいという強い思いが、常に自分の中で先行していた。私にとっての目的はコミュニケーションをとることで、英語は相手と自分との間にある越えたい壁のようなものだった。英語村の子供たちも、英語に対する向き合い方はそれぞれだ。英語が好きな子もいれば苦手な子もいる。私の体験に当てはめればモチベーションの対象が英語そのものでなくてもよい。
 強くやりたい事に対する達成の手段が英語であれば、自然と英語の壁は越えていけるのでは。
 その目的となるものは環境に恵まれた倉渕に豊富にあるだろう。この答えを見つけられることが、英語村で目指す英語教育のカギとなるのではないだろうか。















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