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異文化の中の日本

山村留学指導員 主代望都

 十二月に入り、本格的に寒い日が続くようになってきた。私が冬で一番好きな時間帯は早朝だ。張り詰めた空気が身に染みる感覚や、東の空が白みかけているのに対して、まだ頭上では星が見える様が美しいと感じる。スタッフが暖炉の火を起こし、子ども達が薪を運ぶ姿にも冬を感じるとともに、平安時代、「枕草子」が書かれた時から現代にいたるまで、人の感性はさして変わっていないのだろう、などと考える。

 英語村で十二月と言えば、やはりクリスマスだ。英語村ではクリスマスツリーに飾り付けをし、靴下をぶら下げ、リースを作る。そして二十五日の朝には、靴下にサンタクロースからの贈り物が入っているわけである。
 今日、日本でも当たり前のように祝うクリスマスだが、その起源は欧米にある。と思われがちだ。最近まで私自身、流行に踊らされやすい日本人が、節操もなく外国の文化を取り込んだのだろうと思っていた。しかし、よくよく周りを見渡してみれば、日本の文化との類似点に気づく。
 例えば、クリスマスリースと正月に飾るしめ縄の輪飾りはよく似ている。また、リースには常緑樹の葉を用いるが、日本でも門松などに松や竹などの緑を用いる。円に神聖さ、完全さを見出し、冬にも絶えることのない緑に生命を感じるのは、国や文化に関係ないのだろう。蔓を輪っか状に巻いてリースを作りながら、そんなことを思った。
 英語村にいると、海外の文化、価値観に触れる中で日本を理解することがある。それは一見異質に思える文化に触れることで、自らのルーツとなる文化を振り返り、考えることに繋がるからだと思う。そして異なる文化と自らの文化の類似点を発見することで、異文化を身近に感じることができる。
 英語村の子ども達が、日本と海外という異なる二つの文化に触れる中で、そういったことを身体で感じ、吸収してほしいと思う。
 それが子ども達の将来、アイデンティティーの確立に繋がるのではないだろうか。















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