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子どもの頃の記憶

山村留学指導員 高木陽光

 子どもの頃の記憶はどのくらい覚えていられるのだろうか?
 自分が学園生だった頃の記憶を思い出そうとすると、割と出てくる。ただそれは、記憶がまだ鮮明な頃に、写真で残っている物を見返して、復習をするかのようにあとから上書きしたものだったりする。純粋に記憶のみの場合どこまで遡ることができるだろう。

 自分が覚えている一番古い記憶は二歳のとき。消防車の形をした乗り物にまたがって自宅の階段から落ちてしまった。そのあとはどうしたかは覚えていない。時間は一定で平等に流れている。過去も今も同じだけの時間を過ごしているはずだが、子どもの頃の記憶は夢を見ているように断片的だ。二歳のときの記憶はこれのみだった。
 小学生になると色々な記憶が残っている。学校での給食で何が流行っていたとか、夏休みにキャンプをしたとか。もちろん一分一秒を記憶することはできないが、どんどんと記憶できる情報量が増えた。中学生のときに売木村に山村留学に来ていた自分は当時の同期生や指導員、学校の先生やクラスメイトなどほとんどを覚えている。
 こんなことを考えたのも、指導員になった今年からだ。というのも、何かを伝える立場と伝えられている立場では、前者の方が圧倒的に記憶しているというのを感じたからだ。
 山留生には、活動ごとにミーティングなどで活動内容を説明する。印象的な活動や、インパクトのある出来事だった場合は鮮明に覚えていられるだろうが、特に思い入れのないものだった場合はそこまでとなってしまう。ところが、思い出せる記憶よりも、もっと深いところで残った記憶は、直接経験に繋がり、人の心に貢献する。
 子どもの頃に様々な体験をさせてもバッチリ覚えていることは少ない。しかし、きっと記憶の奥深くにとどまり、人間を大きく変化、成長を促している。自分は今、それを目の前で体験している。















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