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『0から1をつくりだす』

山村留学指導員 水落碧衣

 活動写真を整理していたら、とある動画ファイルが見つかった。開いてみると、道端に生えていたヘビイチゴの実をおそるおそる口に運び、あまりの不味(まず)さに悶絶する男の子たちの姿が収められていた。

 何もないところから新しいことを生み出す、「0から1をつくりだす」とはどのようなことだと思いますか?

 誰にも知られていないことを発見する、誰も考えていない物を考え出す、いわゆる「世紀の大発明(或は大発見)を思い浮かべる人が多いと思う。しかし私は今までの経験から、「自分の中で未知の物事に挑戦し、結果を得る」ことだと感じている。

 私は創造が好きな子どもだった。工作、裁縫、料理、とにかく何でも作った。喘息で入院していた時は工作に熱中し、ベッドの上は紙くずだらけ。家の中ではお手製の段ボールハウスを築き、中で昼寝をしたり。そんな私を両親は笑って見守っていた。

 散らかしながらも一生懸命作ったものは、周りの人たちがすでに作っているもの。しかし、当時の私にとって完成品は超大作であり、作っている時間は至福の時間だった。まさに、0から1をつくりだすことの楽しさだと思う。

 ヘビイチゴの味見に挑戦した彼らは、「ヘビイチゴがおいしくない」ことを体験から知り、0から1をつくりだしたことになる。

 インターネットにも書かれている周知の事実だが、彼らの中でひとつ、ヘビイチゴに関する知識が増えた、すなわち「0から1をつくりだした」ことになるのだ。

 山村留学の生活は外部からの情報が入ってこないため、自分から情報を得る必要がある。つまり、「0から1をつくりだしやすい」環境にある。

 何でもいい、自分だけの「1」をつくりだしてほしい、と思いながら、私は今日も新たな「0」から「1」をつくりだそうと奮闘している。















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