理解と受容
くらぶち英語村
山村留学指導員 主代望都
始まったばかりに感じる英語村も、あっという間に二学期が過ぎ、新年を迎えた。短い冬休みを終え、子供達が英語村に帰ってくる。子供達の顔を一人一人思い起こしながら、私は安堵とも寂しさともつかない感情を覚えている。私とって、そして英語村にとっても初めての終園が、約三カ月後に迫りつつあるからだろう。
四月から今までを振り返り、子供達のことを考えると、子供達の成長に驚かされる。身体的には勿論のこと、精神的にも大きく成長した。そして子供達だけではなく、大人たちスタッフも多くを学んで前進し続けていると感じる。
この英語村で、私が日々考えていることは、真の相互理解とは何かということである。他者の理解と受容は、人間関係を築く上で何度も繰り返し起こるプロセスである。付き合いが長くなればなるほど、そして距離が近ければ近いほど、相互の理解と受容は重要になってくると思うのだ。
英語村では、子供達どころかスタッフですら理解し難い、受け容れ難いと感じる出来事が多々起きる。文化、言語、人種、年齢層が異なる集団の中で生活しているのだから当然といえば当然だ。そしてこれだけ長く生活を共にしていれば、個々人の背景にある異文化に、嫌でも接する機会が多くなる。そのような時、子供達はまず素直に嫌悪や拒絶の反応を見せることが多い。馴染みのないものに対し、不愉快さや不安を覚えるからだ。だが子供達は、時間をかけてこの不愉快さと向き合って理解し、最終的に順応するのである。
英語村では、相互理解にこの拒絶、理解、受容が絶えず起きているように感じられる。そしてそれは指導員間でも例外では無く、初めて触れる他の文化や価値観に驚いたり、嫌悪感を抱いたりする。そうして互いをより深く知っていくのである。
英語村という一つの社会の中で、子供同士、子供とスタッフ、そしてスタッフ同士で、多くの衝突と歩み寄りを繰り返して、より良い英語村を模索しているのだ。