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みんなの声

 山村留学を体験された保護者の方や参加した子どもたち、学校の先生方、農家の方の声を載せています。
 これから山村留学をお考えの方も、そうでない方も、ご参考になさってください。

 下記の詩は、山村留学の一年を振り返り、平成9年度の留学生達がつづった詩です。
 子ども達の心の変容が読み取れると思います。
山村留学の歌  尚、月刊「育てる」のバックナンバーの中には、山村留学に関する感想等が特集になっているものもあります。
 ご希望の方は、こちらからご連絡下さい。

参加者の声

洗濯と歩くこと
 家族とはなれて、知らなかった人と一緒に生活できるようになったことと、自分で洗濯できるようになったことと、たくさん歩けるようになったことです。
 洗濯は、早く干すことができなかったけれど、今は、早く干すことができるようになったことと、早く歩けるようになったことです。

いろんなことが見えるようになった
 最初はホームシックで眼に涙をためていた。
 だんだんなれて、いろんなことが見えるようになって来た。
 余裕ができたら、自然などにも興味が向いてきた。
 今思えばバカバカしい事も、あの時は真剣だった。
 親がいなくても大丈夫になったし大勢の共同生活にも慣れたし、自分で自分をほめたいくらいだ。

受検のための勉強ではなく自分のための勉強
 今年は受験がある。目標は勉強だ。
 受験だから勉強するのではなく、自分のための勉強をするのだ。

自分の問題点は
 反省がある。
 一番の問題点は、勉強をやらないことだ。
 十分わかってはいるが、ついついほっぱらかしにしてしまうことだ。

「こん畜生」と言わないか、寝言が心配だ
 学校ではおこられっぱなし、センターでは大忙し、農家ではいまいち、夜、寝る時だって、「こん畜生」とか、「世の中、どうなっているんだ」とか、寝言で叫ばないか心配だ。
 授業中まじめにやろうとしたし、困っている人を助けようともしたし、忘れ物をなくそうと、手を代え、品を代えやってみた。
 信じてもらえないと思うが、僕は一生懸命努力した。
 それなのに、それなのに、僕の稲穂はちっとも実ってくれそうにない。
 もう、ため息ばかりの生活はいやだ。せめてため息をつくのは控えよう。うん、何をすればいいのか・・わからない。
 だから、これから考えるのだ。

四つできるようになったこと
 まずは、忘れ物をそんなにしなくなったこと。去年は毎日していた。
 二つ目は、自分の部屋がきれいになったこと。去年は部屋の半分を自分の荷物で占めていた。今年は別人のようにきれいになった。
 三つ目は、洗濯がちゃんとできるようになり、着るものがなくて、人のものを借りることがなくなった。今年は、まだ一回も借りていない。
 四つ目は、なんと言っても学校が楽しくなったことだ。友達ができた。
次の目標は、言葉使いを直すことだ。

今の自分と今までの自分
 ここに来るまでは、外で遊ぶことが少なく、友達の家でゲームをしたり、ゲームセンターに行って、夜遅くまで遊んだりしてダメな人間だった。
 でも、ここに来て自分がすごく変わったように思う。
 自然の中の片道5キロの通学路を歩きとおしたし、今までやったことのない活動をたくさんやって、一歩一歩成長しているのだと思う。

私が、「私に」なれるまで
 今年、私が決意したこと、それは、無遅刻、無欠勤、無保健室だ。
 去年はひどかった、遅刻四回くらい、欠席は六回くらい、保健室へは、週二、三回通いだった。
 それが、遅刻は腹痛で一回だけ。欠席ゼロ。保健室は風邪っぴきで一回だけ。とりあえず、自分を褒めてあげたい。
 もう一つの決意。去年は、つっ立ったままで動かなかった自分を捨てて、ちゃんと動く、新品の自分を作り上げたことだ。自己評価になるけれども。
 私が、「私に」なれるまで、その期間は長く、予想以上に悩めるものだった。

魔法の国
 私が初めて八坂学園に来たのは、小学校5年生の時でした。
 あれから5年が経ち、ついに私は中学3年生まで残ってしまいました。
 私にとって山村留学は魔法の国のようなもので、何もかもが楽しいことばかりでした。
 (時々寂しくなったり、くやしくなったりもしたけど…)
 山村留学に来て5年間の間に、私は春夏秋冬のにおいがわかるようになりました。
   春は、ほわっとした土と植物が混ざったようなにおい。
   夏は、ずかっとした雨と植物が混ざったようなにおい。
   秋は、すうっとした落葉と風の混ざったようなにおい。
   冬は、つんとした雪と風の混ざったようなにおいが、私にはわかるのです。
 八坂の素晴らしい自然達が魔法をかけ、私を中学3年生まで残らせてくれたのかもしれません。
 そんな魔法の国への切符をプレゼントしてくれたのはお父さんとお母さん。
 たくさん色んなことを学ぶことができたよ。
 ありがとう。

カナダでの生活をはじめて
 二年間の山村留学が終わりました。本当に早かったと思います。
 八坂での生活が、今のカナダでの生活の考え方・生活の基盤になっていること、自分の中にしっかり位置づいていることが、離れてよくわかりました。
 これは、僕だけに限らず、多くの修園生が感じていることではないかと思います。
 カナダに来て1ヶ月と少しが過ぎました。
 今は9月に高校に入るための準備の為に、語学学校に通っています。
 ランゲージスクールには、想像した通りアジア人が多かったですが、スイス人などもいて、台湾人や香港人などにたくさんの友達ができました。
 ただ、残念なことに留学してくる外人(日本人も含めて)には、2種類いるような気がします。
 きちんと目標を持って生活しているか、なんとなく時間を過ごしているか、それは不満を言ってホームスティの家庭(山村留学でいう農家)を簡単に変えてしまう様子や、金銭感覚にあらわれていて、圧倒的に後者が多いのです。
 そう考えると、八坂で得た友達は、生活する上で一本筋を通していたと思います。
 山村留学で我慢する心ということを身につけるのは実際に街に帰ってみると、とても大切なことだと気付きました。
 それから、何にでも積極的な態度が身についている事にも気がつきました。八坂では全然勉強をしなかったのですが、今は英語が力になるのが楽しいし、必要なので本当に勉強する時が来たと思い努力しています。
 そのために、授業でわからない事はどんどん質問し、近所の人や友人などと、できるだけ会話をするようにしています。
 多くの日本人留学生は固まりやすいですが、それでは何のために来ているのかわからなくなりそうで怖いし、話せないなりに話したいから、今は必死です。
 多くの事を学んでどれだけ吸収できるか。
 これはカナダだけでなくどこでもそうでしょうが、やはり難しいです。
 しかし、自分が選んだという事を忘れなければ、きっと最後は八坂での2年間のように達成できると信じています。
 どこにいても八坂の事は忘れられないし、忘れないようにしていこうと思います。

保護者の声

二年間の収支決算
 息子の二年間の山村留学が終了する。
 二年前、思いもよらず息子が突然山村留学したいと言いだした時は本当にびっくりした。
 「なぜ」と思いつつ「そんなに行きたいならかなえてやろう、息子の人生だから」と、長野県の教育委員会に電話をかけて紹介され踏み込んだ二年間だった。
 今ここで山村留学の収支決算といっても、一言で言い表すことは難しい。
 もし「山村留学は良かったですかと尋ねられたら、間違いなく「息子の場合は良かったと思っています」と答える。本当に良かったかどうかのポイントは、息子がこれからの人生の中で山留体験をどのように生かしていけるかどうかであるが、区切りとして一応のまとめをしてみたい。
 山村留学はメリットばかりではない。デメリットも当然あった。
 例えば、費用の点、保護者がセンターに行く時間と労力、そして学習面での心配などである。
 息子の場合はその資質もあるが、文字の丁寧さや文章力において親が横にいればもう少しマシになっていたように思う。
 はっきりと形にあらわれたメリットは体型や体力である。
 つちふまずが発達し、身長は8センチ伸びたのに対し体重増加は2キロにとどまった。おかげで肥満児一歩手前だった体が標準体になった。体力も含めていわゆる健康な体として成長したことは、人間として最も基本的な動作である「歩く」ことを、毎日の生活の中で徹底した効果であろう。
 学習面では小人数指導によるメリットがあげられる。
 学校の文化祭において、息子が笛の発表を行ったが、それを参観した妻は胸が熱くなったという。息子の音楽的センスから考えて、発表会に至るまでどれほどの指導があったのかは想像がつく。
 小人数でひとりひとりが本当に大事にされている。これについては、ただただ頭が下がる思いである。
 しかし、ここで思うのだが、読み書きや笛の発表などだけが本当の学力なのだろうか。
 山村留学生が稲を育てる。
 手作業の代かき、田植え稲刈り、脱穀。もちろんそこにはテストはない。だから、その体験は学業成績としては評価されない。
 しかし、汗水たらして生物を育て、実際に泥、水、稲にふれることによって、体で感じるフィーリングが豊かになり、それによって感性という心が育まれ、本物の学力になるのではないかと思う。
 山村留学の二年が終わる。
 親元を離れてしまい、見えないものもあるが、逆に離れて生活しているからこそ見えてくるものもある。
 それは親子の絆や兄弟の絆、そして人間の生き方についてだろう。また、言いかえればこのことこそが、最大のメリットであった。
 「月に一度は息子と山歩きでもしたい」、そんなことを勝手に思う今日この頃である。

里親農家の声

父さんユウキューだよ!
 千見地区から湯の海地区に抜ける道路の斜面に、貝などの化石がいっぱい出ている場所があり、ある日そこを通ったらAもBも「化石を掘りたい」と言いました。
 その日は夕方で暗くなり、道路も災害になっていてどうにもなりませんでした。
 帰ってから「今度の日曜日に掘りに行くか?」
 子どもは「日曜日には用事がある。平日に、学校の都合で休みがある。」
 母さんは「あの道は一人では怖いからだめ。」「今度の農家入りでは雪が降る。」
 「仕方ないからあきらめろ」となりかけた時にAが言いました。
 「父さん有休だよ!」「そうだそうだ!それがいい。」いつもは自分から話しかけてはこないBも言うのが嬉しくて、道具を用意して化石を、ついでに近所でキノコも取って「有意義な平日」になりました。
 役場を37年間勤めて、12年の3月いっぱいで辞めましたが、こんな形で「有給休暇」を取ったのは「最初で最後の体験」になりました。
 Bにも印象が強かったのでしょう、修園の集いの作文でふれてありました。こんな時が農家の醍醐味を感じる時です。

受入学校の声

ほくろ
 私はほくろ。山村留学生のおでこに居ます。
 センターに来る前、都会の賑やかであかぬけた中にいました。大変おおぜいの人々の中で、様々なものを見てきました。 私の主人(ほくろの持ち主=山村留学生)と共に数年間暮らしてきたのです。
 ある日、主人が山村留学に興味興をも持ち始めました。
 どうやらそれは、親元を離れて山村で生活することらしいのです。今までの主人の暮らしぶりを知る私にとって、「本気かいな。でけへん。無理やわ、やめとき。」とつぶやきたくなるのをぐっとこらえました。
 でも、そんな私の心のつぶやきにも関わらず、主人は行くことに決めてしまいました。「ほんとに一年間もつんだろうか?」と思いつつ、ほくろの私も同行せざるを得ませんでした。
 そしてとうとうやってきました。
 センターには数十人の子ども達がいます。主人と私は、美麻の学校へ向かいました。
 峠のてっぺんに着くと、純白の北アルプスの峰々が広がりました。汗ばんだ首筋を伸ばして、主人と私は大きく息を吸い込みました。肺胞の末まで洗われるようです。主人も私も初めての体験です。
 数ヶ月がたちました。どうやら何とか生きています。
 ちょっぴり寂しくなって頭から布団を被ってしまうこともありましたが、楽しいことがたくさんありました。
 そして主人の体に少し変化が現れました。食べっぷりが良くなったことです。そしてやわらかめだった筋肉が、少しずつ固く引き締まってきました。
 あっという間に冬になりました。
 センターからの下り道は良くても、帰りの登りはきついものです。昔から村に住んでいる子でもこう長く歩く子はいません。吹雪の中、背中を丸めながらポツリポツリ歩いていきます。センターには辿りつくといった感じでした。
 宿題もしなくちゃ、和太鼓の練習もあるし、個人発表の準備もある。休日の日には農作業や活動だぁ。
 それでも私の主人は何とかやり通してきました。
 都会にいる頃に比べて、ほくろの私としては、「おまえさん、よくやったじゃないか」とポンとひとつ肩をたたいてやりたい気分です。
 主人はまだ子どもですから、感情を上手に表せないのですが、思いきり生きた喜びははっきり感じるのです。
 ふと横をみると、私には新しい仲間ができていました。それは、笑いぼくろ君でした。




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